仕事と介護に追われる52歳男性。初めて「もう頑張れない」と弱音を吐けた出会い

「仕事が終わっても、一日が終わった気がしない」 「介護も家庭もちゃんとやっている。でも、自分のための時間がいつの間にかなくなっていた」
そんな疲弊感を抱えながら、それでも誰にも言えずにいる既婚男性は少なくありません。今回お話を伺ったテツヤさんもそんな一人です。
今回は、仕事・介護・家庭に追われる中で自分を見失いかけたテツヤさんが、既婚者クラブで「弱音を吐ける相手」と出会うまでの体験をご紹介します。
| ペンネーム | テツヤさん(仮名) |
|---|---|
| 年齢 | 52歳 |
| 職業 | 製造業 |
| 家族構成 | 妻あり・要介護の母あり |
| 悩み | 仕事・介護・家庭を一人で抱え、誰にも弱音を吐けず自分の時間が消えていた |
| 利用目的 | 「お疲れさま」と言ってくれる相手、弱音を吐ける場所を求めて |
目次
仕事、家庭、介護。気づけば自分のことを考える時間が消えていた
13人のチームを束ねる管理職として、朝から晩まで気を抜けない仕事が続きます。取引先との調整や部下の育成、上司への報告。
そこに3年前、母の骨折をきっかけに介護が加わりました。週に2〜3回、仕事終わりに母の家へ寄るのが日課になったんです。帰宅は22時を過ぎることも珍しくありません。
妻とは結婚して20年以上になりますが、もともと嫁姑の仲はあまりよくありませんでした。「義母の近くに住むのは嫌だった」と結婚当初から言っていたくらいで、介護が始まってからも距離は縮まりません。
母が独居を続けるために、週2回は顔を出すと決めていました。火曜と木曜の夕方、退勤後そのまま車を走らせて片道25分。夕食の準備を確認して、ゴミ出しの段取りを確認して、1時間ほど滞在して帰る。
「妻に一緒に来てもらえたら」と思ったこともありましたが、それは期待しない方がいいと早めに悟りました。「私には無理」とはっきり言われていましたし、実際に母と顔を合わせると空気が重くなるのがわかっていました。
妻には「できるだけ早く帰ってきてほしい」と言われていましたが、毎回そうはいきませんでした。「また遅かったね」という一言が、じわじわと刺さるようになっていきました。
申し訳ないと思っていたのは最初だけで、だんだん「介護してるんだから当たり前だろ。ちょっとは協力してくれよ。」という気持ちに変わっていきました。
病院の待合室で3時間、仕事のチャットに返信し続けた
母の定期受診は、だいたい2ヶ月に一度。泌尿器科と整形外科を同じ日にはしごするため、朝9時に連れて行っても終わるのは13時を過ぎてしまいます。
妻が付き添ってくれたのは、介護が始まって最初の1回だけでした。「仕事があるから」という理由でしたが、その後は一度も来ていません。以来、通院の付き添いは自分一人でこなすことになっていました。
待合室の硬い椅子に座りながら、スマホで仕事のチャットに返信し続けていました。一度、部下から「今すぐ確認してほしい書類がある」と連絡が来て、病院のトイレにこもってPCをリモートで操作したこともありました。
受診が終わったあと、母はいつも「今日もありがとうね」と言ってくれます。その表情を見ると、イライラした自分に腹が立ってしまって。
ケアマネに「息子さんが一番のキーパーソンですから」と言われた日
月に一度、ケアマネージャーとの電話があります。サービスの確認、体調の変化、次回の訪問日程。20分ほどの通話ですが、仕事の昼休みに対応することが多くありました。
「奥さんはご協力いただけていますか?」とケアマネに聞かれたことがあります。「まあ、仕事もあるので…」と濁しましたが、実態はほぼゼロでした。
あるとき「息子さんが一番のキーパーソンですから、何かあればすぐご連絡しますね」と言われました。「そうですね、よろしくお願いします」と答えました。
電話を切ったあと「キーパーソン、か」とぼんやり思いました。誰かの支えでいることに疲れ果てて、家庭と介護と仕事の全てが重荷に感じるようになりました。
母から着信が来るたび、胃が痛くなった
仕事中に母からの着信が来ると、心臓が跳ね上がります。体調が悪いのか、それとも何かトラブルがあったのか。
会議中に気づいて、終わってからかけ直すと「なんでもなかったのよ、ちょっと話したくて」と言われたことが何度かありました。ほっとする反面、会議を抜けるか迷ったストレスだけが残って。
家でも妻から「さっきお母さんから着信あったよ」と伝えられるたびに、胃のあたりが重くなる感覚がありました。他人事のような言い方が少し気になりましたが、そこに文句を言える立場でもないと思っていました。
「いつか本当に何かあったときに、自分一人で動けるんだろうか」という不安が、頭の片隅からなくなりませんでした。
介護帰りの車の中で急に涙が出そうになった
そんな中、母の家から帰る車内で「自分って何年休んでないんだろう」と思ったんです。
有給を使った記憶はもちろんあります。でもそれは通院の付き添いか、行政の窓口に行くためでした。純粋に自分のために時間を使った日が、記憶の中にありません。
妻に「少し休みたい」と言ったこともありました。返ってきたのは「じゃあお母さんのとこ行く回数を減らせばいいんじゃない」という一言。「そういう問題じゃない」と思いましたが、うまく言葉になりませんでした。
SNSで愚痴を吐いてもストレスが溜まるだけだった
誰かに話を聞いてほしくて、Xに「介護と仕事の両立がしんどい」とポストしたことがありました。でも「もっと効率化すれば」とか「あなたより大変な人はいる」というコメントが返ってきて。
同じ境遇の人をフォローしてみましたが、自分も攻撃的な言葉をコメントしてしまいそうでしたし、相手の方がきつそうだと思うと、自分の愚痴を書くのが申し訳なくなってしまいました。
ある日の眠れない夜、普段どおりスマホを見ていると既婚者向けマッチングサービスのサイトがあることを知りました。
普段だったら開こうとも思わないのですが、その日は半ばヤケクソで登録までしてしまったんです。
初めて弱音を吐いたら肩の力が一気に抜けた
何人かとやり取りして思ったのが、みんな自分の家庭をまず第一にするのが当たり前ということ。急に返信が遅くなっても「今日は母の通院で」と一言書けば通じます。
数週間後、同い年の女性とやり取りが続くようになりました。彼女は義父の介護をほぼ一人で担っていて、夫に頼れないことに苦しんでいるそうで。
深夜に「今日はもう疲れました」と送ると、翌朝「お疲れさまでした」と返ってくる。長文じゃない。アドバイスもない。
ただそれだけのことが、想像以上に大きかったです。「お疲れさま」って返ってくるだけで、なんか力が抜けたんです。
以前は、仕事と介護と家庭のこと。やらなければいけないことが、目を閉じても浮かび上がってきて、夜になっても気持ちが休まりませんでした。だからといって、部下にも妻にも母にも自分の弱いところをさらけ出す気にはとてもなれなくて。
でも「今日はほんとしんどかったです」とか「母から電話が来ただけで、胃が痛い…。辛くなる」とか、彼女には気兼ねなく送れるんです。
何も変わっていないけれど弱さを人に見せられるだけで楽になった
状況は何も変わっていません。母の介護は続いていますし、職場のプレッシャーも同じです。妻との間にある距離感も、劇的に変わったわけではありません。
それでも52歳になって初めて「今日はもう頑張れない」と誰かに言えた気がしました。
結果として、以前より妻にも少し穏やかに接することができるようになったとは思います。弱音を吐けるようになったというのはもちろんですが、どこか妻への罪悪感もあるような気がして…。
でもあのままだったら自分はどこかで限界を迎えていたと思います。
責任ある立場で毎日を懸命にこなしていると、気持ちが追いつかない瞬間は誰にでも訪れます。。
テツヤさんのように、介護をほぼ一人で抱えているからこそ、自分の感情だけが置き去りになってしまうこともあるでしょう。
既婚者クラブには、家庭を大切にしながらも「自分のしんどい部分をさらけ出せる相手がほしい」と感じている方がたくさんいます。
深い関係ではなく「今日はもう疲れました」と弱音を吐ける相手が一人いるだけで、日常の息苦しさは変わるもの。同じ立場だからこそわかりあえる、そんな出会いを提供しているのが既婚者クラブです。
既婚者クラブ運営